名所旧跡
舟屋とは、もともと船を海から引き上げて風雨や虫から守るために 建てられた施設です。 昔は漁で木造船を使用していたため、それを乾かす必要があった 船を収納する一階に対して、二階はかつて網の干し場や漁具置き場 として使われていました 二階のつくりも…
ほぃ! 前回の続きですよ ぐるっと1日入り放題 城崎温泉外湯1日入浴券なるものを購入して 7つある温泉を制覇しようというミッションを進行中です 因みに別々で入ると一湯800円なのでかなりお得なモノになります 前半戦は御所の湯、鴻の湯、まんだら湯、一の…
午後からのミッションは城崎の7つの温泉の制覇です 城崎のRVパークが3時からなので時間を潰しながら 向かいますよ RVパークから城崎温泉駅までは5分圏内とアクセス良好 ありがたい場所にあります お風呂に入るのにラクな服装に着替えていざ、戦場に、、、 先…
ほぃ、いよいよ旅も終盤ですよ 中津川市から恵那に入り、設楽方面に折れて行くと 女城主で有名な岩村城に辿り着きます その城下町岩村には古い街並みを保存している場所があり 食べ歩きも楽しめます おいらも結構好きで何度も来ていますよ コミュニティセン…
国道19号沿いに架かる木製の橋として有名 橋長247mの木製吊り橋は日本国内でも数少ない貴重なモノとか、 ま、それはそれでよかったんだが、 花桃がとってもいい感じに咲いてたんよ どっちかというとコッチの方が感動してしまった その後19号を下りながら 本…
駒ヶ根の光前寺はお初でしたが なかなか趣きのあるお寺でしたよん 不動明王が御本尊、三重塔は県重文、長寿の水、三本杉、 光苔の回廊(時期が悪かったので見れなかった)と見所あり、 今は水仙が門前通りに咲き乱れていてとてもキレイだったよ 今回お邪魔し…
浜松市北区いなさにある奥山方広寺に 研修でいてきたよー ココは臨済宗のお寺で建徳2年(1371)後醍醐天皇の皇子 無文元選禅師によって開創された禅寺だそうな 釈迦三尊像などの国の重文なども多数あり、 なかなかに趣きのあるお寺だ おまけに皇室しか入れな…
三遠南信道 天龍峡PAに新しく そらさんぽという施設ができた 駐車場からは3分ほど歩くとそらさんぽ天龍峡に着くのだが コレがなかなかの絶景なのである そらさんぽは天龍峡大橋での絶景を眺める散歩コース 何ヶ所かビューポイントがあるんだが観光者の為に …
善光寺はあちこちにあるんだけど 元善光寺が大元らしいのよ 昔話みたいのがあるので興味がある方は調べてみてね んで、有名な長野善光寺ってのがあって、 この2つは一緒にまわりましょ〜ね っていうのがしきたりみたいなんよ こんな歌があるそうです 『一度…
河津から天城峠方面に向かう途中にジェットコースターの様な ループ橋があるんだがおいらはコレが苦手です。 だって怖いのよ..... って事で、そのループ橋のすぐ手前にあるに河津七滝にいった まずは大滝からいったんだが滝のすぐ側で温泉に入れるらし…
河津桜を観ながら川沿いを進んでいくと 涅槃堂があります ここには寝釈迦仏像が有るんですよ 寝釈迦仏像って全国的にみても34例しかなく しかも、木造の涅槃仏像はわずか4例のみという貴重なものです コチラの涅槃像は江戸時代の作といわれ 桧の一本造りで漆…
長篠の戦いで亡くなった人達埋葬したの塚が設楽原古戦場(新城市)にある 信玄の名がついているのは、武田軍の終焉を分かりやすく伝える為に 信長がつけたと言われています ここには2つの塚があり、武田軍10,000を弔った大塚と 織田・徳川連合軍を弔った小…
話しは戦国時代、長篠・設楽原の戦い 38,000の信長、家康連合軍VS 15,000の武田勝頼軍との戦いだ 信長が馬防柵を築き、3,000丁の火縄銃を三段撃ちで初使用し、 武田軍の崩壊を決定的にした伝説の戦いである 500人が籠城している長篠城は武田軍によって完全包…
武田勝頼本陣は、天正3年(1575)の長篠の戦いの時に 医王寺の裏山に勝頼が長篠城攻めの際に陣城として築いたとされている この陣城は、丘陵の先端部で約600mの南方に位置する長篠城に 睨みを利かすような位置にあたり、また、長篠城包囲における武田軍の 各陣…
信楽駅近くの無料駐車場からわんこの散歩でゆっくり 街並み探索した後はたぬき村に向かったんだが、 openまでまだ30分も時間がある こんな事もあろうかと昨日密かに検索していたのが 紫香楽宮跡だ 歴史ロマン大好きなおいらはここぞとばかりに嫁にもうプッシ…
関ヶ原の戦いとは、慶長5年(1600)に岐阜県不破郡で起こった戦いの事である 豊臣秀吉が死んだ後の権力を巡って、石田三成が率いる西軍と 徳川家康が率いる東軍に分かれて戦っていて、 兵力は西軍85,000、東軍88,000と大きな差は無かった 合戦が始まると西軍に…
馬防柵は戦国時代最強と恐れられた武田の騎馬軍団に 対抗する為に信長が考え出した作戦と言われています 信長が連吾川に馬防柵を築いた事は、設楽原に一つの 巨大なお城を築いたと同じ意味がありました 最強の武田騎馬軍団を鉄砲隊で迎え打った場所です 駐車…
元亀3年(1573)三方ヶ原の戦いで甲斐の武田信玄に大敗した 徳川家康は、命からがら浜松城に逃げ込みました この時戒めの為に描かせたのがしかめ像と言われています 何とか武田軍の城攻めを逃れた家康はその夜 どうにか一矢を報いたいと犀ヶ崖近くで野営する武…
龍潭寺参道を出て少し歩いていくと田んぼの中に ひっそりと佇んでいる 直虎の先祖、井伊氏初代共保が平安時代(1010)に 生まれたと伝わる井戸 立派な門の中の向かって左側に井戸、右側に石碑がある 龍潭寺、井伊谷宮と共に見学するのがおすすめだよ
平安時代の代表的な書に優れた人物、弘法大師空海、 嵯峨天皇、橘逸勢の三人を合わせて三筆と呼ばれる 橘逸勢は最澄や空海と共に遣隋使として唐に渡り、 橘秀才(きっしゅうさい)と称された人物 或いは、承和の変で容疑者として流罪になった人物 なんでも、…
永正の頃、浜名湖北部を勢力基盤とする佐久城主浜名氏に属し、 本坂道を押さえて日比沢城を築いたのが後藤氏である その後、後藤氏は浜名氏と共に今川氏に属した 日比沢を拠点地とした後藤氏であったが、その一類は 本坂道(姫街道)の峠近くに居館を構えて …
本坂関所は中世末期に設置されたと思われるが、 本格的に機能したのは慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後である 関守は後藤角兵衛実久とその子兵庫で、慶長9年には 同氏によって単独検地が実施された 寛永初年(1624)頃、気賀関所の設置により廃止された 民家の…
静岡県西部の森町にある歴史の深い神社 社伝によればその起源は6世紀に遡り、 鎌倉時代や室町時代には皇族や武将の信仰も篤く 遠江国一宮として祟敬を受けていたらしい 江戸時代には徳川家康が社殿を再建するなど 歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進…
徳川家康と小国鶏の伝説って知ってる? 家康が若い頃の話し甲斐の武田しんげんとの戦に敗れて 逃れている時、偶々みつけたこの御寺に一夜の宿を頼み、 その時住職に明朝一番鶏があ鳴いたら起こして 欲しい旨を伝えて床についた そして真夜中に鶏が珍しく鳴い…
元亀3年(1572)、上洛を目指し武田信玄が遠江に進軍、 それを知った徳川家康は浜松城を出発、追撃し、 三方ヶ原の地での戦いとなった しかし、兵の数でも軍術でも劣る徳川軍は 総崩れとなり、家康も命からがら浜松城へ逃げ帰りました その夜、犀ヶ崖付近で野…
島田市金谷にはいろいろな歴史的建造物があり 楽しめますが、 今回は金谷坂の石畳に行ってみたよ 場所は諏訪原城跡に程近く民家の脇から峠に向け石畳が伸びています もともとは歩き易い様にと石畳を作ったらしいがおいらは歩きにくいんで途中で断念したわ昔…
渭伊神社本殿の後方、薬師山とも呼ばれる丘の 頂きには、巨大な石が幾つも横たわっている 自然造形だろうがバランス良く配置された石群は 巨石を神の拠所(磐座)とした古代祭祀場の遺跡 ココは天白磐座と呼ばれ、日本の磐座の中でも 神の気配の深さにおいて…
浜松市に無料のキャンプ場がある事を知った 北区滝沢にある市営の滝沢キャンプ場がそれだ しかし、このキャンプ場はインターネットの完全予約制となっている様で 行き当たりばったり派のおいらには敷居が高いのだ キャンプ場の入口に利用予定者リスト一覧が…
三岳城のすぐ近くに実はあったらしいのよ 何の話しかと言えば立須の峰の話し 大型風車のすぐ脇にその入口があったのよ ココから峰まで5分かかりません 暗い登山道(たいした事ない)を歩いて行くと 突然こんな感じの岩が現れて、 あっさり登頂できます ただ…
土肥から修善寺に移動します なんとおいら初めてかも ここは弘法大師が開いたお寺というので来てみた 平日なのに意外と人が多い 源氏と北条の舞台としても名高いからか? 歩いて探索出来るので飽きないし身体にも良い お店がもう少し開いていたら更にいいの…