長篠の戦いで亡くなった人達埋葬したの塚が設楽原古戦場(新城市)にある
信玄の名がついているのは、武田軍の終焉を分かりやすく伝える為に
信長がつけたと言われています
ここには2つの塚があり、武田軍10,000を弔った大塚と
織田・徳川連合軍を弔った小塚があります
この後起こった蜂の大発生を戦死者の祟りと恐れた村人達は
慰霊として毎年8月15日のお盆に『火おんどり』を行うようになった
400年の歴史ある県の無形民族文化財です


大塚と小塚 このすぐ裏に設楽原歴史資料館がありますよん


首洗池 流石に池は写せませんわ