永正5年(1508)菅沼新八郎定則が築城し、その後、子の定村、
孫の定満三代の居城となった城
元亀4年(1973)1月、武田信玄の最後の城攻めとなったこの地へ攻め込んだ際、
攻めあぐねた末、甲州の金堀人足を使って城の水源をたった
これにより城主定満は城を明け渡すこととなる
信玄の死後再び徳川氏のものとなり、元亀5年三たび菅沼氏が城主となりますが、
天正18年(1590)定満が関東移封されたため廃城となった
野田城といえばもう一つ
夜な夜な聴こえてくる美しい笛の音色に誘われた信玄が
火縄銃で撃たれた場所としても名が通っているね
この時の火縄銃は信玄砲と呼ばれ設楽原歴史資料館で展示されているという
ロマンのあるお話し。
ロマン派のおいらはついつい行ってしまったのだった