戦国時代、今川氏の北遠における支城として
重視されていた城
当時の古文書(享禄、天文、永禄期-−6世紀−)
にも記述が残る
山深い標高479mの山陵一帯に曲輪、土塁、空堀などの
遺構を残している
旧秋葉街道などが幾つかの古道が通じる交通や
軍事的な要地であったとされ、県下で最も天険で
要害堅固な城であったとされる
見どころマップ参照
中尾生城(なかびうじょう)は中日向城、中日尾城、
中尾生砦とも呼ばれています
新しい案内板や鳥居があるので最近手入れしたのかな?
本曲輪には稲荷があるんだけど案内板はないのでここで正解か?
矢印版が新しいだけに残念ですな
展望はないけど嫌いじゃないです