鉄砲の存在が勝敗を左右したと言われる
落城寸前まで追い込まれながらも、長篠城主
奥平貞昌は岡崎城の家康に援軍要請の使者を送る
しかし、この使命を果たした鳥居強右衛門が
長篠城に戻る途中、武田軍に捕えられ
『城内の兵向かって援軍は来ない』と言えば助命すると
言われたものの、『援軍は来る!』と叫び
長篠城から見える場所で磔にされてしまう
これで士気が高まった長篠城内の兵たちは
約10日間耐え忍んだ後、駆け付けた織田、徳川連合軍と
武田軍が設楽原で激突し、武田軍は大敗を喫することになる
長篠城は、永正5年(1508)に菅沼元就によって築かれ、
豊川と宇連川の合流点に位置し、北ほうに人工の塀と土塁を
置いた堅固な造りとなっている
天正3年21歳の奥平貞昌が城主となり、武田勝頼の包囲に耐えました
現在は国の史跡に指定された他、日本100名城にも選ばれてます
ま、地元では有名な史跡なので後回しになってたわ
100名城だったのね、知らんかった